
康州池は本来、康州営基のあった場所であった。
『晋陽誌』によると、1379年秋、裵克端(1355~1392)がこの地に陣を構え部下に石で矗石城を築くよう命じたが、完成前に倭軍が攻め込んできたとされていることから、ここが高麗末(1379年)の軍事基地であることが推測され、今日の晋州城根源地と見ることができる。
康州池いつ形成されたかについての情報は見つかっていないが、樹齢500~600年とされる木々が堤防を覆っており、また池周辺のヒトツバタゴは中国からもたらされた伝えられることから、晋州の歴史上、この池代一帯は重要な地域と評価されている。池の堤防は夏には満開の古木と花で覆われ、多くの観光客と学生たちに人気がある。特に2004年生態公園で再造成され、教育、憩いの場、自然環境などを提供する空間として市民から愛されている。